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平成23年度年次報告抜粋

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ESR物性サブグループ

研究活動の概要

電子スピン共鳴(ESR)法やSQUID磁束計を中心手段として興味ある物性を示す系について研究を進めている。ESRには通常、市販のXーバンド(10 GHz)やQーバンド(36 GHz)装置が使われることが多い。これらの装置は感度が高く有用であるが、本研究室の特徴としては分子科学研究所との共同研究により10〜94,000 MHz にわたって周波数可変なスペクトロメーターを用い、温度、周波数、圧力をパラメーターとした電子状態の解明を目指してきた。また、圧力に関しては、静水圧と一軸変位が加えられるESR装置を用い、任意の軸のみ或いは一様に格子定数を変えて電子間或いは電子ー格子間の相互作用を変調し、物性発現に寄与する相互作用を調べている。現在は更に、産総研との共同研究により、均一で更に高い圧力が発生できるcubic anvil セルを用いた10 GPaまでの高圧下ESRの開発を進めている。

 また、物質の状態を知る方法は多くあるが、その中で、走査型探針顕微鏡(SPM)を用いた研究もこの4〜5年続けてきており、興味深いデータと解析結果を得て来た。

 以下に今年度行われた研究の概要を整理する。

1)DNA

我々生物の遺伝情報をつかさどるDNA(デオキシリボ核酸)は、燐酸、糖に加えて4種のアミノ基、グアニン(G)、シトシン(C)、アデニン(A)、チミン(T)の組合せによって構成される有機高分子であり、2本のDNAがG-C或はA-Tの組み合わせの塩基対によって連結されて、良く知られた2重螺旋構造を構成する。この塩基対は、任意に設計・合成が可能な配列のフレキシビリティと高い自己組織化能を併せ持つことから、任意形状のナノサイズ構造物をDNAの2重螺旋で構成出来ることも報告されている。

一方で、人類のDNAの長さは1 mにも及ぶことが知られているが、放射線照射などにより発生した欠陥の位置から、かなり離れた部分に遺伝情報の異常が発生したりする事から、ソリトン伝導など、何らかの高速な情報伝達機構があるのではないか等、その本質には未だ計り知れない神秘性が残されている。本研究グループでは、物性的には未知であるDNAについて報告される新規な現象を、物性物理の立場からチェックしていくこと、これまでの研究から半導体であることが確認されてきた天然のDNAに電荷担体を導入し、その物性を明らかにすることを通して、ナノエレクトロニクスの素材としての可能性の検証も目的の一つとして研究を進めている。

2価の金属イオン水溶液中では、DNAは、2つのNa+カウンターイオンの替わりに、塩基対の間の水素結合位置に2価金属イオンを取り込み化合物を作る。中でも鉄を導入したFe-DNAは、Fe2+として取込まれた後にFe3+に変化する事が観測されており、Fe2+から飛び出した電子がDNAにドープされている可能性がある。この3価の鉄は、空気中に置かれたFeCl2水溶液からは生じないこと、また、高温のFeCl2水溶液中では、空気中酸化によるFe3+を含むFeO(OH)が生じるが、DNA中のFe3+イオンとは全く異なった共有結合性の電子状態に起因する光学吸収スペクトルを示すことが確認されている。DNA中のFe3+イオンは、DNA+FeCl2水溶液中では時間に比例して増え続ける。また、FeCl3とほぼ同一の光学吸収スペクトルを示し、水和されたイオンとしてDNA中の塩基対間に配位していると考えられている。

図1 空気中で合成し、乾燥条件を変えたFe-DNAの2Kにおける磁化曲線:A:空気中乾燥、B:空気中加熱乾燥、C:真空乾燥。系統的な磁化曲線の変化が観測される。乾燥度が高いほど高磁場に於けるゆっくりとした増加(S=1/2のブリルアン関数に対応)をする成分が増し、低磁場で急速に立ち上がるS=5/2の成分の割合が減少している。この結果から、Fe3+イオンの電子状態を支配する配位子場がDNA中の水分子に支配されていることが示唆される。 図2 吸収曲線測定用の低周波ESR装置。液体窒素中に配置された磁場発生用空芯コイルは、試料位置に合わせて上下に調整が可能。鉄芯を持たないため高速磁場掃引ができ、1/f 雑音に影響されずに吸収曲線を直接測定出来る。DPPH参照試料と同時測定で、反磁性の影響を受けずスピン常磁性磁化率を効率良く測定出来る。一例として、圧力下のβ"-(DODHT)2PF6の場合に、従来の微分波形測定より1桁程度測定時間の短縮が可能になった。

興味深いことに、Fe-DNAの磁化曲線やESRスペクトルを観測すると、Fe3+は単一のスピンではなく、結晶場により支配された高スピン状態のS=5/2と低スピン状態のS=1/2がほぼ1対3の割合で共存することが知られている。その原因は未だ明らかにされていない。その原因究明の一つの可能性として、空気中の酸素分子がFe3+イオンに配位する影響を明らかにするために、以下の様に3段階に雰囲気を制御して合成・測定を行った。

  1. アルゴン雰囲気下で合成・真空乾燥
  2. 空気中で合成・真空乾燥
  3. 空気中で合成・加熱乾燥

その結果を解析して、最終的に得られた結果を図1に示す。アルゴン雰囲気下で合成・真空乾燥した試料は、空気中合成・乾燥した試料とは明確に異なる「S=1/2の割合が増加する」という結果を与えた。これより、「酸素」或は「水」分子がFe3+の電子状態を支配していることが明確になった。合成段階の酸素の影響が無視出来ることは、2. の結果で明らかになり、3. の結果まで含めた図2から、Fe-DNA中の水分こそがFe3+の高スピン状態を生み出す原因であることを明らかに出来た。

2)(BEDT-TTF)2ICl2

有機電荷移動錯体(BEDT-TTF)2ICl2は常圧、22Kで反強磁性転移を起こすMott絶縁体であるが、8.2GPa以上の圧力下で有機導体として最高の転移温度14.2Kで超伝導転移を示すことから注目されており、常圧における電子状態がどの様に金属的状態に変化するかを圧力下ESRを用いて調べている。そのために、高圧下(3GPa〜10GPa)の測定用のキュービックアンビルセルを利用したESR装置開発を進めている。これまでに、80トン(約8GPa)まで信号を観測出来る様になったが、タングステン・カーバイド(WC)アンビル中の強磁性的バインダーのために、その磁気的ヒステリシスに起因する信号のベースラインの大きな歪みが問題であった。これは、高圧下でESRリード線の破断を防ぐ目的で用いた、アンビル自信をリード線の一部とする配線に原因があった。しかし、元に戻って30 µmφのリード線が破断しやすい欠点を克服する別の方法が必要になった。そこで、従来より高圧下でよく使われる金箔を、30 µmφのコイル線と0.3 mmφに太くした外出し線との接続の補強に用いて解決することができ、最終的に80トンまで安定に加圧が可能になった。

また、磁化率測定用の参照試料として用いているDPPHのESR線幅が圧力とともに増加することから、圧力センサーとしての利用の可能性を検討した。これまで複数回行った結果をまとめると類似の振舞いをすることが確認できるが、実験毎に系統的なずれが見出された。その原因は、圧力セル内に入れる前後で線幅が変化することから予測が可能になった。WCの磁性のために、試料位置の磁場の不均一が余剰の線幅を生み出していると考えられる。そこで、アンビルに入れる前後の線幅の差が磁場の不均一に起因すると考えて圧力下の線幅を補正すると、系統的なズレが奇麗に補正され一つの関数系で代表出来ることから、圧力センサーとして利用出来ることが分かった。(埼玉大、産総研(千葉大)との共同研究)

3)STMによる構造と電子状態の研究

走査型トンネル顕微鏡は、単結晶表面の構造や電子状態を探る手段として有効であることは良く知られている。今年度は2つの対象に適用し、興味深い結果を得て来た。一つはDNA及び金属イオンを導入したM-DNAであり、もう一つは有機電荷移動結晶のβ-(EDO-TTF)2PF6の単結晶である。

DNAは生体中、或は水溶液中では良く知られた2重螺旋構造を取る。親水性を持たない基盤であるHOPG(Highly Oriented Pyrolytic Graphite)上にDNA水溶液からすくい取りSTMの試料とした。通常はDNAが直径が2nmもある2重螺旋構造を取るため、STM像では明確な構造を持たない周期が約3nmのぼんやりとした像が得られることが多い。しかし、そのなかの限られた本数のDNAは幅が2nm程度で、直線的で1nm以下の周期性を示す構造も見つかった。これは、二重螺旋構造が引き延ばされて螺旋構造が解けた縄はしご的な平面構造であると結論付けられた。Mn-DNAやCo-DNAの場合は、natural DNAとは幾つかの点で明確な違いがある。一つは、塩基対間の位置に骨格と同一の0.7-0.8 nmの周期で明るいスポットが観測された。この周期性は、naturalの0.6 nmより僅かに広がっている。二つ目は、2本のDNA骨格間の間隔が、naturalの2 nmと比較して広い2.7 nm程度であり、且つ、金属イオンと思われるスポットの周囲を丸く囲むイメージが得られた。これらの点と、Mn-DNAのESRスペクトルにおける超微細分裂パラメータから結論された「Mn2+は塩基の窒素と共有結合を作りやすいにもかかわらずイオン結合している」という事実を考慮すると、Mn-DNAのはしご構造は、水和したMnが塩基間でイオン結合している事を強く示唆する。骨格の周期性がnaturalに比較して広い点も、Mnイオン間のクーロン反発のためだと考えられる。

このようなDNAのはしご構造の観測は非常に稀であるが、これまでに natural DNAで数例、Mn-DNAで2例、Co-DNAで1例、単一鎖DNAで1例見いだして来た。STMが開発された初期に、DNAの螺旋構造の研究が多く行われた。その結果として、HOPG自体にDNAの螺旋構造に類似の特異な構造があることが分かり、HOPGは必ずしもDNAのSTM観測には向いていないと考えられて来た。しかし、はしご構造のDNAは、HOPGの特異な類似構造よりスケールが1桁小さく、原子像に近い分解能で観測され、HOPGの螺旋構造と類似した構造とは明確な区別が可能である。

一方、分子構造の変化を伴う電荷秩序転移を室温近辺で起こす(EDO-TTF)2PF6のSTM観察も行った。本来、固有抵抗が大きい系であり、STM測定に困難が予想されたが、奇麗なユニットセルと同一の周期性を持ち、球対称性を持たないイメージが得られた。EDO-TTF分子も、α-(ET)2I3で見いだされた表面電荷の再構成の原因となった、末端のエチレン基を分子の片側だけに持つ。しかし、観測されたイメージは、同様の再構成が起こった場合に期待される「ユニットセルの2倍化」に対応する周期構造は示さなかった。その原因として、(EDO-TTF)2PF6の場合は、EDO-TTF分子の末端エチレン基が交互に配置するため、表面の欠損したPF6分子との相互作用が非常に弱いためであると結論される。詳細は、波動関数を用いたシミュレーションの結果を待つ必要がある。(北海道大学、京都大学との共同研究)

4)β"-(DODHT)2PF6

β"-(DODHT)2PF6は1/4-fillingのバンドを持ち、常圧下255Kで金属絶縁体転移を、さらに、1.3GPa (13 kbar)の圧力下で転移温度2.3Kの超伝導転移を示す。常圧でのX線回折とSQUIDによる磁化率の結果から、常圧、255K以下の絶縁相では電荷秩序の存在が報告されている。このことから、圧力ー温度相図で超伝導相と隣接する絶縁相が電荷秩序状態である可能性があり、超伝導と電荷揺らぎの関係から興味が持たれる。そこで、加圧下ESRにより電子スピン磁化率の温度変化を測定し、絶縁相から超伝導相への電子状態の変化を磁性の面から調べている。今年度は、開発を続けて来た吸収曲線測定用の低周波ESR装置が完成し(図2)、これを用いて加圧下ESRの測定を行った。磁化率の絶対値は、β"-(DODHT)2PF6と標準試料DPPHの吸収曲線を同時に測定し、両者の信号を分離し面積を比較することで求めた。β"-(DODHT)2PF6のESR線幅はDPPHよりも数倍〜20倍も広いため、信号の分離には、一般的な吸収線の微分曲線を測定するよりも、新装置のように吸収曲線を直接測定し解析する方が有利である。また、新装置は鉄芯の無いコイルを用いるので磁気損失が無く静磁場の高速度の掃引が可能であり、従来の電磁石を用いた測定より一桁以上短い積算時間で同程度のS/N比の信号が得られる。今回、短時間で測定した信号から二つの吸収曲線の分離が精度よくでき、新装置の有用性が確認できた。常圧では、β"-(DODHT)2PF6について報告されている磁化率の温度変化を再現する結果が得られた。また、0.5 GPa(5 kbar)では、絶縁体転移が報告されている200 K付近で、ESR線幅、磁化率ともに温度変化に飛びが観測された。これは、電荷秩序状態でのスピン間の交換相互作用Jと双極子ー双極子相互作用を考慮することで理解できる可能性がある。圧力ー温度相図を完成させるために、さらに高い圧力での測定を続ける予定である。(茨城大との共同研究)

研究業績

論文

国際会議報告

学会講演

日本物理学会 第 66 回年次大会 2011 年 3 月 25 日ー 3 月 28 日(新潟大学:中止)

  • 森英一, 生井圭一郎, 坂本浩一, 溝口憲治, 内藤俊雄:STMによるα-(ET)2I3の室温電荷量解析II(25aTA-1)

  • 伊吹依利子, 坂本浩一, 溝口憲治:3d遷移金属FeをドープしたDNAの電子状態の解析(25pTJ-2)

  • 圓谷淳, 伊吹依利子, 坂本浩一, 溝口憲治:金属をドープしたDNAの光吸収III(25pTJ-1)

  • 谷口尚, 高倉寛史, 溝口憲治, 坂本浩一, 谷口弘三, 竹下直:β'-ET2ICl2の電子状態の解明に向けた高圧化ESR装置の開発IV(28aTK-6)

  • 藤巻俊登, 谷口尚, 坂本浩一, 溝口憲治:吸収曲線測定用低周波ESR装置の開発(28aTK-7)


日本物理学会  2011 年秋季大会 2011 年 9 月 21 日ー 9 月 24 日(富山大学)

  • 高倉寛史, 溝口憲治, 坂本浩一, 谷口弘三, 竹下直:β'-(BEDT-TTF)2ICl2の電子状態の解明へ向けた高圧下ESR装置の開発(21aTQ-3)

  • 溝口憲治, 森英一, 坂本浩一, 内藤俊夫:STMによるα-ET2I3の表面電子状態の考察(21pTR-17)

  • 粂田翼, 圓谷淳, 坂本浩一, 溝口憲治:凍結乾燥法で作製したZn-DNAの電子状態の解明(24aTG-6)

  • 横矢貴秀, 臼井英正, 坂本浩一, 溝口憲治:STMによるMetal-DNAの構造解析(24aTG-7)

  • 伊吹依利子, 溝口憲治, 坂本浩一:3d遷移金属FeをドープしたDNAの電子状態の解析(2)(24aTG-8)

  • 藤巻俊登, 谷口尚, 坂本浩一, 溝口憲治:吸収曲線測定用低周波ESR装置の開発II(24pTG-12)


国内研究会

第5回東北大G-COE研究会 「金属錯体の固体物性科学最前線ー錯体化学と固体物性物理と生物物性の連携新領域創成を目指してー」 2012年1月20日ー1月22日

  • 溝口憲治: Zn-DNAにおける強相関πバンドの出現と電子状態 (口頭)

国際会議

Nanobiosystems: Processing, Characterization, and Applications, SPIE Optics+Photonics, SanDiego, USA, Aug. 21-23, 2011

  • Metal incorporated M-DNA: Structure, Magnetism, Optical absorption (Invited Talk)


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