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平成22年度年次報告抜粋

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ESR物性サブグループ

研究活動の概要

電子スピン共鳴(ESR)法やSQUID磁束計を中心手段として興味ある物質について研究を進めている。通常、ESRというと市販のXーバンド(10 GHz)やQーバンド(36 GHz)ESR スペクトロメーターが使われることが多い。これらの装置は感度が高く有用であるが、本研究室では10〜24,000 MHz にわたって周波数可変なスペクトロメーターに加え、分子科学研究所との共同研究による94,000 MHzまでのESRを用い、温度、周波数、圧力をパラメーターとした電子状態の解明を目指している。圧力に関しては、静水圧下或いは一軸変位下でのESR装置を用い、任意の軸のみ、或いは一様に格子定数を変えて、電子間、或いは電子ー格子間の相互作用を変調し、物性発現に寄与する相互作用を調べている。現在更に、産総研との共同研究により、均一で更に高い圧力が発生できるcubic anvil セルを用いた10 GPaまでの高圧下ESRを開発しており、多くの壁を乗り越えつつ、一歩づつ進めている。

 また、物質の状態を知る方法は多くあるが、その中で、走査型探針顕微鏡 (SPM) を用いた研究もこの4〜5年続けている。興味深いデータは得られてきているが、論文としての成果はこれから報告する努力をしていきたい。

 以下に今年度行われた研究の概要を整理する。

1)DNA

我々生物の遺伝情報をつかさどるDNA(デオキシリボ核酸)は、燐酸、糖に加えて4種のアミノ基、グアニン (G)、シトシン (C)、アデニン (A)、チミン (T) の組合せによって構成される有機高分子であり、2本のDNAがG-C或はA-Tの組み合わせの塩基対によって連結されて、良く知られた2重螺旋構造を構成する。この塩基対は、任意に設計・合成が可能な配列のフレキシビリティと高い自己組織化能を併せ持つことから、任意形状のナノサイズ構造物をDNAの2重螺旋で構成出来ることも報告されている。

一方で、人類のDNAの長さは1 mにも及ぶことが知られているが、放射線照射などにより発生した欠陥の位置から、かなり離れた部分に遺伝情報の異常が発生したりする事から、ソリトン伝導など、何らかの高速な情報伝達機構があるのではないか等、その本質には未だ計り知れない神秘性が残されている。本研究グループでは、物性的には未知であるDNAについて報告される新規な現象を、物性物理の立場からチェックしていくこと、これまでの研究から半導体であることが確認されてきた天然のDNAに電荷担体を導入し、その物性を明らかにすることを通して、ナノエレクトロニクスの素材としての可能性の検証も目的の一つとして研究を進めている。

2価の金属イオン水溶液中のDNAは、2つのNa+カウンターイオンの替わりにDNAの塩基対の間の水素結合位置に2価金属イオンを取り込み化合物を作る。中でも、鉄を導入したFe-DNAはFe3+イオンとして存在する事が示唆されており、鉄から出た電子がDNAにドープされている可能性がある。しかし、この3価の鉄の成因は未だ明確になっていない。そこで、光学吸収スペクトルで鉄の電子状態を探った。図1に種々の鉄イオンの光学吸収スペクトルを示す。2価のFeCl2は、薄緑色の結晶の色から推測できる様に、比較的高いエネルギー領域に弱い吸収を示す。一方、3価のFeCl3やFeO(OH)(酸化水酸化鉄)では、結晶のカーキ色を反映して、FeCl2より低いエネルギーで吸収を示す。更に特徴的なのは、2価のFeCl2が加水分解された後、空気中の酸素によって生成する3価のFeO(OH)が共有結合性を持つため、イオン結合性のFeCl3とは明確に区別が可能である。また、図2に示すDNAとFeCl2の混合水溶液中の反応時間依存性から、生成される3価の鉄が、DNAと反応していないFeCl2が酸化されたのではなく、Fe-DNAになることによって始めて生成することを示している。このことから、今後、Fe-DNA中の鉄が3価に変わる際に、電子が何処に移動したのかが興味深い。

図1 Feイオンの光学吸収スペクトル。Fe2+の吸収は、2価の鉄の薄緑色に対応して5 eV以上で現れる。FeCl3、FeO(OH)は共にFe3+イオンであり、カーキ色に相当する3-5 eV辺りに吸収が現れる。しかし、両者のスペクトルは容易に分離が出来る程度に吸収がシフトしている。FeCl3は、水溶液中でほぼ完全に電離した球形のイオンだが、FeO(OH)は、水には溶解しにくく、共有結合性を持つため、吸収スペクトルがシフトする事は容易に理解される。 図2 DNA水溶液にFeCl3水溶液を混合後の時間に対して、Fe-DNAのFe3+の光学吸収スペクトルの変化を示す。比較のために、FeCl2水溶液のみの場合も示す。空気中でも室温では全くFe3+は観測されない。この事実は、FeCl2が加水分解されて出来たFe(OH)2の酸化によるFe3+(O(OH))3-は、生成しない事を示しており、Fe-DNAで観測される3価の鉄イオンの光学吸収スペクトルが、Fe-DNA由来の吸収である事を示唆する。

一方、通常の2価金属イオンMとDNAの反応によって生ずるM-DNA中では、金属イオンは2価のまま保たれることも知られている。その1例がZnCl2とDNAの水溶液から生成されるZn-DNAである。我々の生成法で得られるZn-DNAにおいては、Znイオンの導入がDNAの電子状態には強く影響しないことが確認されている。しかし、最近、別の方法、支持塩に希薄にZn-DNAを含む水溶液の凍結乾燥法により作成した試料では、やはり2価のZn2+が入っていることが確認され、且つ、金属に特有なPauli的な常磁性が強く観測されることが報告された。この報告は、試料の作成手順によって同じ2価のZnイオンがDNA中に導入されるが、最終生成物の電子状態が大きく異なり得ることを示唆する。現在、この差異の本質がなんであるのか、追試実験を試みながら詰めている。今後の展開が興味深い系である。

2)(BEDT-TTF)2ICl2

有機電荷移動錯体(BEDT-TTF)2ICl2は常圧、22Kで反強磁性転移を起こすMott絶縁体であるが、8.2GPa以上の圧力下で有機導体として最高の転移温度14.2Kで超伝導転移を示すことから注目されており、常圧における電子状態がどの様に金属的状態に変化するかを圧力下ESRを用いて調べている。そのために、高圧下(3GPa〜10GPa)の測定用のキュービックアンビルセルを利用したESR装置開発を進めている。これまで、外形2.5 mmのテフロンカプセル内に、粉末試料を約1.3 mg入れた直径約1mmのコイルをセットし、数百MHzにて、数十秒間の積算によりきれいな吸収信号が得られている。圧力下において試料のスピン磁化率を較正するために、既知の磁性を持つDPPH(diphenyl-picryl-hydrazyl)を試料コイルに埋め込み、100トンプレスで80トン(約8GP)まで信号のSN比を落とさずに安定に測定出来る様になった。これまでは、タングステンカーバイド製のアンビルのバインダーの磁性とラジオ波コイルとの結合により、信号の測定が困難になるほどのベースラインの歪みに妨げられていたが、コイル上下に設置したシールド用銅板により、SN比は保ったままアンビルとの相互作用を充分に減衰可能となった。また、加圧時に、アルミナ製のガスケットがアンビルの形状に変化する際に(クラッシュと呼ぶ)、ラジオ波コイルの銅線が切断されやすかったが、リード線を通す位置や形状を改善することにより、高い再現性が得られる様になった。今後、スピン磁化率の温度依存性の測定に注力していく。(埼玉大、産総研(千葉大)との共同研究)

3)STMによる構造と電子状態の研究

走査型トンネル顕微鏡は、単結晶表面の構造や電子状態を探る手段として有効であることは良く知られている。今年度は2つの対象に適用し、興味深い結果を得て来た。一つはDNA及び金属イオンを導入したM-DNAであり、もう一つは有機電荷移動結晶のα-(BEDT-TTF)2I3の単結晶である。

DNAは生体中、或は水溶液中では良く知られた2重螺旋構造を取る。親水性を持たない基盤であるHOPG(Highly Oriented Pyrolytic Graphite)上にDNA水溶液から掬い取り、STMの試料とした。通常は直径が2nmもある2重螺旋構造を取るため、明確な構造を持たない周期が約3nmのぼんやりとした像が得られることが多い。しかし、その内の限られた本数のDNAは、HOPGのステップ構造に固定され、途中から2つに分かれたような構造も見つかる。トポグラフィから、HOPGのステップ構造でないことは明確に区別可能である。このような三つ又構造の内の1つの枝に、幅は2nm程度で、直線的で1nm以下の周期性を示す構造も見つかった。これは、二重螺旋構造が引き延ばされて螺旋構造が解けた縄梯子的な平面構造であると結論付けられた。HOPG基盤と平面上の分子は、互いの波動関数が重なり易く、相互作用が強くなると考えられる。そのために、4eV程度のエネルギーギャップを持つDNAの原子レベルの構造がSTMによって観測されると理解される。2価の金属イオンを導入したMn-DNAやCo-DNAにおいては、塩基対の中央に位置する金属イオンを囲むような構造の像が得られた。Mn-DNAのESRにおける超微細分裂の解析などの結果から、われわれの手法によって作成されたM-DNAにおいては、金属イオンがイオン結合していることが示唆されている。一方で、Mnイオンは、塩基対に含まれる窒素と相対しているが、両者は共有結合を好むため、ESRの解析結果と、STM像の解釈から、金属イオンが複数の水イオンに囲まれていることが示唆される。この点は、2種のZn-DNAの存在を理解する上で、重要なヒントを与えていると考えられる。

電荷移動結晶の単結晶表面をSTMにより観察すると、格子定数に近い周期を持つ構造が観測される。α-(BEDT-TTF)2I3は常温でユニットセル内の4つのBEDT-TTF分子間で電子数が異なる電荷の不均化が起っていることで知られる。X線の構造解析データから提案された構造と比較をしながら解析を進めている。得られたSTM像には4種類の異なる形状、高さを持つ周期的な構造が観察され、結晶のa-b面を観測していると結論した。BEDT-TTF分子の両端近くの硫黄原子の3p軌道を見ていると仮定して解析をすると、X線解析で決定された構造・電荷分布では理解出来ない何らかの表面再構成が起こっていることが明らかになった。BEDT-TTF層とI3層の電気的相互作用を考察すると、構造的な再構成では理解出来ず、電荷の再分配が起こっていると結論される。今後、さらに解析を進めて行く。

一方、分子構造の変化を伴う電荷秩序転移を室温近辺で起こす(EDO-TTF)2PF6のSTM観察も行った。室温近辺の電荷秩序転移に伴う表面状態の変化が興味深い。本来、固有抵抗が大きい系であり、STM測定に困難が予想されたが、構造を再現する像が得られて来た。また、π電子が存在しないPF6アニオン層と思われる対称性の高い像もある確率で観測されることが分かって来た。今後、更に解析を進めて行く。(北海道大学、京都大学との共同研究)

4)β"-(DODHT)2PF6

β"-(DODHT)2PF6は1/4fillingのバンドを持ち、常圧下255Kで金属絶縁体転移を、さらに、1.3 GPaの圧力下で転移温度2.3Kの超伝導転移を示す。常圧でのX線回折とSQUIDによる磁化率の結果から、常圧、255K以下の絶縁相では電荷秩序の存在が報告されている。このことから、圧力ー温度相図で超伝導相と隣接する絶縁相が電荷秩序状態である可能性があり、超伝導と電荷揺らぎの関係から興味が持たれている。そこで、絶縁相から超伝導相への電子状態の変化を磁性の面から調べる目的で、常圧〜1.5 GPaでの加圧下ESRにより電子スピン磁化率の温度変化を測定している。これまで、常圧と0.5 GPa下での測定を行い、常圧では報告されているSQUID 磁化率を再現する結果が得られた。また、0.5 GPaでは、180 K以下で一次元的電子(スピン)間相互作用を示唆する結果が得られ、これは電荷秩序状態の存在の可能性を示している。さらに種々の圧力下での測定を行っていく。測定と平行して、磁場変調を用いず、吸収曲線を測定する低周波ESR装置の開発を進めている。静磁場用に、デュワーに固定したヘルムホルツ型の空芯コイルを用いるので掃引をすばやくでき、短時間に多数の積算ができる特徴がある。これまで、常温、常圧での測定に成功している。今後、β"-(DODHT)2PF6 の測定に利用する予定である。(茨城大との共同研究)

研究業績

国際会議報告

学会講演

日本物理学会 第 65 回年次大会 2010 年 3 月 20 日ー 3 月 23 日(岡山大学)

  • 荒木理美,溝口憲治,坂本浩一,山内文貴,川本徹, D. Mihailovic, A. Omerzu,徳本圓,神戸高志: TDAE-C60の有機強磁性に対する一軸性歪み効果IV(20aGR-6)

  • 森英一,臼井英正,坂本浩一,溝口憲治,内藤俊雄,矢持秀起,谷口弘三:トンネル分光による分子性導体の室温構造解析(21pGT-10)

  • 臼井英正,横矢貴秀,坂本浩一,溝口憲治: SPMを用いた金属をドープしたDNAの構造解析(21pPSA-42)

  • 谷口尚,坂本浩一,溝口憲治,竹下直,谷口弘三:超高圧下ESR装置の開発とβ'-(BEDT-TTF)2ICl2の電子状態II (22pGT-17)

  • 圓谷淳,臼井英正,伊吹依利子,坂本浩一,溝口憲治:金属をドープしたDNAの光吸収(23aGR-3)


日本物理学会  2010 年秋季大会 2010 年 9 月 23 日ー 9 月 26 日(大阪府立大学)

  • 谷口尚,坂本浩一,溝口憲治,竹下直,谷口弘三:高圧下ESR装置の開発とβ'-(BEDT-TTF)2ICl2の電子状態の解明III(23pRB-11)

  • 横矢貴秀,臼井英正,溝口憲治,坂本浩一: STMによるHOPG表面におけるMetal-DNAの新規構造の発見(25aRL-10)

  • 圓谷淳,伊吹依利子,臼井英正,坂本浩一,溝口憲治:金属をドープしたDNAの光吸収II(25aRL-11)

  • 伊吹依利子,坂本浩一,溝口憲治: 3d遷移金属FeをドープしたDNAの電子状態の解析(25aRL-12)

  • 森英一,坂本浩一,溝口憲治,内藤俊雄: STMによるα-ET2I3の室温電荷量解析(26pRB-7)

第49回電子スピンサイエンス学会年会 (SEST2010) 2010年11月11日ー11月13日(名古屋大学)

  • 溝口憲治:Electronic states of M-DNA studied by ESR(招待講演)

国内研究会

第49回電子スピンサイエンス学会年会 (SEST2010) 2010年11月11日ー11月13日(名古屋大学)

  • 溝口憲治: 2価金属を入れたM-DNAの物性と水分子の役割 (口頭)

α-(ET)2I3のDirac電子相、電荷不均化金属相、電荷秩序絶縁相に関す る討論会(新学術領域研究A01班拡大討論会) 2010年10月22日

  • 溝口憲治: Molecular charge density in α-ET2I3 estimated by STM analysis in the a-b plane (口頭)

第3回東北大G-COE研究会 「金属錯体の固体物性科学最前線ー錯体化学と固体物性物理と生物物性の連携新領域創成を目指してー」 2010年12月3日ー12月5日

  • 溝口憲治: 2価金属イオンを導入したDNAの物性:Fe-DNA (口頭)

国際会議

International Conference on Science and Technology of Synthetic Metals (ICSM 2010), Kyoto, Japan, July 4-9

  • K. Mizoguchi: Physical Properties of metal-ion incorporated M-DNA (Oral)

  • H. Sakamoto, S. Araki, F. Yamauchi, K. Mizoguchi, T. Kawamoto, A. Omerzu, D. Mihailovic, M. Tokumoto, T. Kambe: ESR study on α-TDAE-C60 with Uniaxial Strain

  • M. Tsuburaya, H. Usui, Y. Ibuki, H. Sakamoto, K. Mizoguchi: Optical absorption and Field induced ESR in M-DNA

  • T. Yokoya , H. Usui , H. Sakamoto, and K. Mizoguchi: Visualization of two different forms of DNA by STM

  • S. Taniguchi, K. Mizoguchi, H. Sakamoto, M. Hirabayashi, H. Taniguchi, N. Takeshita: ESR Study of the electronic states in β'-(BEDT-TTF)2ICl2 under up to 10 GPa in a cubic anvil cell

Nanobiosystems: Processing, Characterization, and Applications, SPIE Optics+Photonics, SanDiego, USA, Aug. 2-5

  • K. Mizoguchi: Electronic states of M-DNA incorporated with divalent metal ions (Invited Talk)

  • T. Yokoya, H. Usui, K. Mizoguchi, H. Sakamoto: Visualization of two different forms of DNA on HOPG by STM (Invited Talk)

TMU/SNU Joint Seminar, Tokyo, Japan, Aug. 28

  • K. Mizoguchi: Physical properties of divalent metal ion incorporated M-DNA (Oral)

18th International Colloquium on Scanning Probe Microscopy (ICSPM18), Atagawa, Shizuoka, Japan, Dec. 9-11

  • T. Yokoya, H. Usui, H. Sakamoto, K. Mizoguchi: Visualization of two different forms of DNA by STM

  • E. Mori, H. Sakamoto, K. Mizoguchi, T. Naito: Molecular Charge Analysis in α-(ET)2I3 with STM


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