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平成21年度年次報告抜粋 |
ESR物性サブグループ研究活動の概要電子スピン共鳴(ESR)法を中心手段にして興味ある物質について研究を進めている。ESRというと、通常は市販のXーバンド(10 GHz)やQーバンド(36 GHz)ESR スペクトロメーターが使われることが多い。これらの装置は感度が高く有用であるが、本研究室では測定周波数を10〜24,000 MHz にわたって周波数可変なスペクトロメーターに加え、分子科学研究所との共同研究による 94,000 MHz までの ESR を用い、温度、周波数、圧力をパラメーターとした電子状態の解明を目指している。 この様に広範な周波数にわたるESRの研究を実施できるグループは世界的に見ても例は多くない。本研究手段の特徴を幾つかあげてみよう。一つは、低次元電子系であれば、たとえ多結晶試料であってもスピンの微視的なダイナミクスの異方性を定量的に見積れる点。また、SQUID磁束計は常磁性磁化+反磁性磁化の合計しか測定できないが、同一試料内の核スピンと電子スピンの磁気共鳴を同一周波数で観測すれば、反磁性に影響されない電子スピン磁化率のみを測定できる。更に、静水圧下或いは一軸変位下でのESR実験も可能で、任意の軸のみ、或いは一様に格子定数を変えて、電子間、或いは電子ー格子間の相互作用を変調し、物性発現に寄与する相互作用を調べることができる。物構研の松本先生のご協力により、CrNiAl材を内筒に用いた高圧用セルを用いると3 GPaまでかけることが出来るが、産総研との共同研究により、均一で更に高い圧力が発生できるcubic anvil セルを用いた10 GPaまでの高圧下ESRを開発している。 以下に今年度行われた研究の概要を整理する。 1)DNA我々生物の遺伝情報をつかさどるデオキシリボ核酸(DNA)は、燐酸、糖に加えて4種のアミノ基、グアニン(G)、シトシン(C)、アデニン(A)、チミン(T)の組合せによって構成される有機高分子であり、G-CとA-Tの組み合わせにより2本のDNAが2重螺旋構造を構成する。これらのアミノ基の配列は任意に設計して合成できるフレキシビリティと、高い自己組織化能を示すことから任意の形状のナノサイズ構造物をDNAの2重螺旋で構成出来ることも報告されている。 一方で、人類のDNAの長さは1 mにも及ぶことが知られているが、放射線照射により作られた欠陥からかなり離れた部分に遺伝情報の異常が発生したりする事から、ソリトン伝導など、何らかの高速な情報伝達機構があるのではないか等、その本質には未だ計り知れない神秘性が残されている。本研究グループでは、この未知の物質について報告される新規な現象を物性物理の立場からチェックしていくこと、これまでの研究から半導体であることが確認されてきた天然のDNAに電荷担体を導入し、その物性を明らかにすることを通して、ナノエレクトロニクスの素材としての可能性の検証も目的の一つとして研究を進めている。 過剰の2価の金属イオン水溶液中においては、2つのNa+カウンターイオンの替わりにDNAの塩基対の間の水素結合位置に2価金属イオンが挿入されることから、種々の2価金属イオンとの化合物を作成し、その物性を調べて来た。図1にその1例としてMn-DNAとFe-DNAのQ-band(35 GHz)ESRスペクトルの比較を示す。どちらの場合も自由電子のg=2に相当する共鳴磁場(約12,000 G)に信号が観測されているが、試料作成時に用いた2価金属のままであれば、Fe2+はS=2(high spin状態)或はS=0(low spin状態)になり、S=2の場合でも生き残った軌道角運動量のためにg=2に信号を与えることは期待できない。すなわち、図1の結果は、Fe2+はDNA中ではFe3+になって軌道角運動量が消失していることの明確な証拠といえる。これに対応して、Fe-DNA膜の色は3価の鉄イオン特有のカーキ色をしている。Fe-DNAの2Kにおける磁化曲線を図2に示すが、それを再現するにはFe3+に特徴的なS=5/2のブリルアン関数が必要になると同時に、low spin状態に対応するS=1/2の存在も不可欠であることを示している。これらのスピン数の比、1対3は良く再現する。一方、FeをCaに置換していくと比率が系統的に変化し、Feが希薄な領域では殆どのスピンがS=5/2に変わる。その原因はまだ明らかになっていないが、酸素の存在が影響していることが分かって来た。現在、詳細に調べ始めた所である。(分子研との共同研究)
2)(BEDT-TTF)2ICl2有機電荷移動錯体(BEDT-TTF)2ICl2は常圧、22Kで反強磁性転移を起こすMott絶縁体であるが、8.2GPa以上の圧力下で有機導体として最高の転移温度14.2Kで超伝導転移を示すことから注目されている。常圧での電子状態がどの様に金属的状態に変化するかを圧力下ESRを用いて調べている。高圧(3GPaー10GPa)での測定のために、キュービックアンビルセルを利用したESR装置の開発を進めている。外形2.5mmのテフロンカプセル内に、粉末試料を約1.3mg入れた直径約1mmのコイルをセットし、数百MHzにて、数十秒間の積算によりきれいな吸収信号が得られた。圧力下において試料のスピン磁化率を較正するために、既知の磁性を持つDPPH(diphenyl-picryl-hydrazyl)を試料コイルに埋め込むことに成功し、常温下で約7GPaまで加えてみた。しかし、新たな問題点として、タングステンカーバイド製アンビルのバインダーに由来する強磁性的な振る舞いが重畳することが確認された。現在、アンビルの材質の変更や、金属板による高周波の遮蔽の効果等を検証中である。約5GPa程度までであれば測定は可能であり、温度依存性の測定準備も進めている。(埼玉大、産総研との共同研究) 3)β'-(DMe-DCNQI)2M & β''-(DI-DCNQI)2M有機の電荷移動錯体の1種である、β'-(DMe-DCNQI)2Mは、平面構造を持つDMe-DCNQI分子がほぼ並行にスタックして高い1次元性を持つπ-バンドを構成している。4つの分子が、金属原子Mを介して結合しており、金属の種類によりその異方性が制御できる。M=Liの場合は、完全なイオン結合であり、Li イオンを介した分子間の電子ホッピングは非常に遅い。一方、M=Cuの場合には、3d-軌道を介した方向性を持つ結合による混成が強く、3次元的なバンドが形成されている。しかし、M=Agの場合には4dバンドが安定でEFより深いため、Liの場合に近い物性を示す。ところが、我々の水素原子核の固体高分解能NMRの結果によると、DMe-Ag塩では、DMe-DCNQI分子上のスピン磁化率がDMe-Li塩より2割程度小さいことが確認されている。その原因を探るためにAg-NMRの測定を物材機構の協力を得て、常温における固体高分解能NMR装置により進めた。しかし、残念ながら、高分解能NMRで観測に掛かる線幅の狭い信号は見出せなかった。このことは、Agイオンの3d軌道を介してホッピングするπ電子との相互作用によってNMRの緩和時間が短くなり、線幅の増大をきたしている可能性を示唆している。次の手段として、広幅用のNMR装置による低温の測定を検討している。
(中大、北大、学習院大、理研、分子研、物材機構との共同研究) 4)有機強磁性体TDAE-C60フラーレン分子C60と電子供与体のTDAE(tetra-kis-dimethylaminoethylene)との電荷移動錯体であるTDAE-C60は純粋に有機元素のみからなり、転移温度16Kの強磁性体として注目を浴びた。その強磁性発現機構にヤーンテラー効果で歪んだC60-イオンの協力的な軌道秩序状態が関わっていることをこれまで示して来た。仮にこれが強磁性発現機構であるとすると、どのような構造が実現されているのかを調べるために、一軸変位の実験を進めて来た。C60分子はヤーンテラー歪みにより球形からラグビーボール状に伸びた回転楕円体になっており、伸びた軸が互いに直交することにより隣接C60上の電子スピン間に強磁性的な相互作用が働く。この条件を満たすC60分子のヤーンテラー軸の配向には2つの方法が可能だが、一軸変位下の実験から、C60分子の一次元鎖を構成するc-軸方向にアルファベットの「T」字上に配向していることが結論された。(Josef Stefan Inst、産総研との共同研究) 5)STMによる構造と電子状態の研究走査型トンネル顕微鏡は、単結晶表面の構造や電子状態を探る手段として有効であることは良く知られている。今年度は2つの対象に適用し、興味深い結果を得て来た。一つはDNA及び金属イオンを導入したM-DNAであり、もう一つは有機電荷移動結晶のα-(BEDT-TTF)2I3の単結晶である。 DNAは生体中、或は水溶液中では良く知られた2重螺旋構造を取る。親水性を持たない基盤であるHOPG(Highly Oriented Pyrolytic Graphite)上にDNA水溶液から掬い取り、STMの試料とした。通常は直径が2 nmもある2重螺旋構造を取るため、明確な構造を持たない周期が約3 nmのぼんやりとした像が得られることが多い。しかし、その内の限られた本数のDNAは、HOPGのステップ構造に引っ掛かったような構造で、且つ途中から2つに分かれたような構造も見つかる。このような三つ又構造の内の1つの枝に、幅は2 nm程度で、直線的で1 nm以下の周期性を示す構造も見つかった。これは、二重螺旋構造が引き延ばされて螺旋構造が解けた縄梯子的な平面構造であると結論付けられた。HOPG基盤と平面上の分子は、互いの波動関数が重なり易く、相互作用が強くなると考えられる。そのために、5 eV程度のエネルギーギャップを持つDNAの原子レベルの構造がSTMによって観測されたと考えられる。2価の金属イオンを導入したM-DNAにおいても金属イオンを囲むような構造の像が得られており、今後更に解析を進めていく。 電荷移動結晶の単結晶表面をSTMにより観察すると、格子定数に近い周期を持つ構造が観測される。α-(BEDT-TTF)2I3は常温でユニットセル内の4つのBEDT-TTF分子間で電子数が異なる電荷の不均化が起っていることで知られる。X線の構造解析データから提案された構造と比較をしながら解析を進めている。得られたSTM像には4種類の異なる形状、高さを持つ周期的な構造が観察され、結晶のa-b面を観測していると結論した。現在、BEDT-TTF分子の両端近くの硫黄原子の3p軌道を見ていると仮定して解析を進めている。(北海道大学との共同研究) 研究業績論文H. Matsui, N. Toyota, M. Nagatori, H. Sakamoto, and K. Mizoguchi Phys. Rev. B 79, 235201 (2009). 学会講演日本物理学会 第 64 回年次大会 2009 年 3 月 27 日ー 3 月 30 日(立教大学)
日本物理学会 2009 年秋季大会 2009 年 9 月 25 日ー 9 月 28 日(熊本大学)
第3回東北大G-COE研究会 「金属錯体の固体物性科学最前線ーー錯体化学と固体物性物理と生物物性の連携新領域創成を目指してーー」 2009 年 12 月 18 日ー 12 月 19 日(東北大学)
国際会議International Symposium on Crystalline Organic Metals (ISCOM 2009), Niseco, Japan, Sept. 12-17
17th International Colloquium on Scanning Probe Microscopy (ICSPM17), Atagawa, Shizuoka, Japan, Dec. 10-12
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