HOME

平成17年度年次報告抜粋

戻る

ESR物性サブグループ

研究活動の概要

電子スピン共鳴(ESR)法を中心手段にして幾つかの興味ある物質について研究を進めている。通常は市販のX−バンド(10 GHz)やQ−バンド(36 GHz)ESR スペクトロメーターが使われることが多い。これらの装置は感度が高く、有用であるが、本研究室では測定周波数を10〜24,000 MHz にわたって変えられる手製のスペクトロメーターを用い、温度、周波数、圧力をパラメーターとして、電子状態のユニークな情報を得ることを目的としている。

 この種の研究が可能なグループは、単一の研究室としては世界的に見ても殆ど例がない。本研究手段の特徴を幾つかあげてみよう。低次元電子系では、スピン担体の微視的なダイナミクスの異方性を定量的に見積れ、多結晶試料にも適用できる非常にユニークな特徴がある。また、同一試料内の核スピンと電子スピンを同一周波数で観測すれば、試料内の反磁性に影響されない電子スピン磁化率を測定できる。静水或いは一軸変位下でのESR実験も可能で、任意の軸のみ或いは一様に格子定数を変えて、電子間、電子格子間の相互作用を変調し、物性発現に寄与する相互作用を調べることができる。物構研の松本先生のご協力により、CrNiAl材を内筒に用いた高圧用セルを用いると3 GPaまでかけることが出来る。また、産総研との共同研究により、均一で更に高い圧力が発生できるCubic anvil セルを用いた10 GPaまでの高圧下ESRを開発している。

 以下に今年度行われた研究の概要を整理する。

1)DNA

生物の遺伝情報をつかさどるデオキシリボ核酸(DNA)は、燐酸、糖に加えて4種のアミノ基、グアニン(G)、シトシン(C)、アデニン(A)、チミン(T)の組合せによって構成される有機高分子であり、G-CとA-Tの組み合わせにより2本のDNAが2重螺旋構造を構成する。これらのアミノ基の配列は任意に設計して合成できるフレキシビリティと、高い自己組織化能を示すことから任意の形状のナノサイズ構造物をDNAの2重螺旋で構成出来ることも報告されている。これらの性質に加えて電気伝導度が付与されれば、ナノエレクトロニクスの材料として有望であることから、最近は、物性面からのアプローチも盛んになってきている。

一方で、人類のDNAは2 mにも及ぶことが知られているが、放射線などで作られた欠陥から、かなり離れた部分に遺伝情報の異常が発生したりする事から、ソリトン伝導など、何らかの高速な情報伝達機構があるのではないか等、その本質には未だ計り知れない神秘性が残されている。つい最近でも、DNAに関しては、興味深いが俄には信じ難い実験結果や解釈がPRLなどに報告されている。物理学に携わる以上は、これらの報告がどこまで多面的に支持される結果、解釈であるのかを確認していくことも務めであると考えている。

最近、λファージから取り出したλ-DNAの磁化率が、数十K以下で異常な常磁性を示すことが報告された。著者らの主張は、ミクロンサイズのDNAが偶然リングを構成し、そこに流れるコヒーレントな電流が軌道常磁性を作りだす、と言う内容である。天然のDNAは、複雑な塩基配列を持つことから、コヒーレントな波動関数が出来るという仮説はとても興味深い物がある。そのような乱雑系であっても、コヒーレントな伝導が起こりうると言う理論的なモデルも提唱されていることが、著者らの主張の背景にある。

そこで、日本で手に入れやすいサーモンのDNAを対象に、同様の追試実験を試みた。スクイッド磁化は、報告と定性的に、また、半定量的にも一致した。約20 K以下から約6 Kのキュリーワイス的な温度依存性を示し、2 Kにおける磁化曲線もほぼ一致した。しかし、50 K近辺にハンプが見られ、著者らが重要な因子と主張する水分量が変化しなくても常磁性磁化が変わるなど、酸素分子の寄与を疑わせる点も見られた。そこで、酸素のみの磁化を調べたところ、図1に示すように報告結果を良く再現することが確認された。しかし、DNAに吸着した酸素がDNAの電子状態に無視できない寄与するという計算結果も報告されているので、更に検討を続けている。

2)TDAE-C60

純粋な有機系としては最も高い転移温度16 Kを示すC60を構成要素とする強磁性体、TDAE-C60の単結晶の一軸変位ESRにより、我々が提案してきたモデルの検証実験を進めている。転移温度の静水圧依存性とコンシステントで、かつ、定量的にも合理的な転移温度を与えるモデルを電総研の川本徹氏、徳本圓氏との共同研究により提案してきた:協力的ヤーン・テラー相互作用で歪んだC60ボールの反強磁性的な軌道秩序が強磁性の起源。今年度は、静水圧、b軸変位ESRに続き、c軸変位のデータが得られた。その結果は、0.5 kbarという低圧領域で、TCが4 K前後急減することを見出した。また、更に加圧すると、徐々にTCが回復することが分かった(図2)。これらの結果は、川本等の協力的ヤーン・テラーモデルで良く再現できることを示した。(産総研との共同研究)

DNAMvsTLiCD
図1 λ-DNA及び石英綿と酸素ガスを共に封じた試料の磁化の温度依存性(文献)。誤差の範囲で両者は良く一致する。ミクロンサイズのDNAリングを流れるコヒーレント電流の作る軌道常磁性という文献の解釈も慎重に検討する必要がある。図2 1H、13C、15N(Phys. Rev. B 60, 14847 (1999)より引用)NMRを用いて決定した、(DMe-DCNQI)2Liの、DMe-DCNQI分子上の電荷密度分布(円の面積に比例)。

3)(DMe-DCNQI)2M

一次元的なDMe-DCNQIスタックとLiやAgイオンのスタックから成る1/4-filledの一次元電子系、(DMe-DCNQI)2M (M=Li, Ag or Li1-xCux) は転移温度65-80 Kのスピンパイエルス(SP)基底状態を持つ。これらの系は、1/4-filledであるにも係わらず、狭い1次元バンドのためにLower Hubbard bandからなる一次元half-filledバンドになっており、2量体化して室温では4kF電荷密度波(4kF-CDW)状態が実現している。今年度も、中央大学との共同研究として、 1H NMR、13Cと文献の15N NMRによりDMe-DCNQI分子上の電荷密度分布の決定をした。その結果、分子内の電子スピン密度分布は、第一原理計算の結果とコンシステントであった。一方、Ag塩は、Li塩と同様に、Agイオンが+1価だと考えられてきたが、そう単純ではないことが示唆された。ところが、+1価以上では4kF-CDW状態のネスティング条件と相容れないことから、金属イオンとDCNQI分子の間に局在したπ-d混成軌道にホールが存在し、DCNQI分子への正味の電荷移動量は+1であると考える必要がありそうである。(中大、理研、学習院大、分子研との共同研究)

4)(BEDT-TTF)2ICl2

有機電荷移動錯体(BEDT-TTF)2ICl2は常圧、22Kで反強磁性転移を起こすMott絶縁体であるが、8.2GPa以上の圧力下で有機導体として最高の転移温度14.2Kで超伝導転移を示すことから注目されている。常圧での電子状態がどの様に金属的状態に変化するかを圧力下ESRを用いて調べている。2GPa以下では圧力とともに反強磁性転移温度が増加することがわかった。現在使用しているピストンシリンダー式の圧力セルは3GPa以下の圧力しかかけられないので、さらに高圧(3GPa〜10GPa)での測定のために、キュービックアンビルセルを利用したESR装置の開発を進めている。(産総研との共同研究)

5)β'- & β''- ET-TCNQ

有機の電荷移動錯体の1種である、(BEDT-TTF)TCNQは、数種の異なる構造を持つ。β'-相は、BEDT-TTF(ETと略称)の構成する2次元シートとTCNQ鎖のシートからなるが、互いの分子面がほぼ直交しているが、β''-相は、構成要素は全く同じだが、互いの分子面はほぼ平行であり、両者の構造の違いが電子状態や物性に与える影響が興味深い。どちらの構造でも、ET分子からTCNQ分子にほぼ1/2 個の電子が移っており、それぞれが$1/4-充填バンドを持つ。これまでに、β''-相の温度を上げていくと、390 K辺りで相転移を起こし、β'-相に変わることが分かった。この結果は、β''-相が準安定状態であることを示唆している。β'-相は、常圧、330 K以下ではダイマー型モット絶縁相と考えられ、分子面の直交性のため相互作用は極端に弱く、それぞれ20 K、3.5 Kで独立に反強磁性秩序を起こすことがg値とスピン磁化率から明らかになった。β''-相は、300 K以下の抵抗の温度変化は金属的であるが180、80、20、10 Kで異常が見られる。両分子のスピン磁化率の分離から、180 Kは、ET分子面で電荷秩序が融け、金属へ転移が考えられるが、80 K以下の異常の原因は不明である。g値の強い周波数依存性から、何らかの磁気秩序が係わっていると考えられる。現在、水素を重水素化した試料のNMRによる解析を準備中である。(埼玉大、中大、分子研との共同研究)

6)交互積層型電荷移動錯体

ドナー分子、アクセプター分子が交互に並んだ 柱から成っており、中性相、イオン性相の二種の相が存在する特徴を持 つ。中性ーイオン性転移は1次転移であるが、(BEDT-TTF)(ClMeTCNQ)においては、両相の間のエネルギー障壁の大きさが転移温度程度であるために短時間で 熱平衡になり、クロスオーバー的な転移になること等を明らかにしてきた。今年度は常温・常圧でイオン性相にある(BEDO-TTF)(Cl2TCNQ)が示す120Kでの分子変位を伴う転移の圧力依存性を調べた。0.1GPaの圧力で転移温度が大きく減少し、高温相が安定化されることが示された。また、常温・常圧で中性相にあるBO(EtO)2TCNQの常温での常磁性磁化率の圧力依存性を調べた結果、(BEDT-TTF)(ClMeTCNQ)がイオン性相に転移し磁化率が飽和する1.5GPaでも、中性のままであることがわかった。これは、この系の電荷移動バンドエネルギーが若干大きく、中性・イオン性両相の境界からより離れていることに対応する。(産総研、京大との共同研究)

7)ラジカル導電性高分子

TEMPOL(Hydroxy-tetramethylpiperidinoxyl-radical)は、>N-O・型のフリーラジカルとして、ESRの標準試料にも使われる、安定な不対電子スピンである.TEMPOLを構成要素とした分子結晶が、0.1K近辺で強磁性を示すことも知られている。このフリーラジカルを導電性高分子のポリアセチレンに枝として付けたポリTEMPOLプロピオレートは、フリーラジカルと伝導鎖の組み合わせを目指した系である。この組み合わせが効果的に働くと、秒のオーダーで充電が可能なラジカル2次電池の材料として有効である。しかし、この系の高分子骨格は、エネルギーギャップの大きなシス型ポリアセチレン構造を持つため、骨格の電気伝導度は高くない。そこで、熱によるトランス型への異性化の可否の確認と、これらの系の基礎物性を調べた。その結果、TEMPOLプロピオレートが用意に高分子骨格から外れること、即ち、熱異性化の前に側鎖の脱離が起こることが分かった。また、TEMPOLの分子性結晶は、6 Kのキュリーワイス温度を持つ反強磁性体で、分子間の異方的な相互作用から予測された通り、ESRの周波数依存性から交換相互作用は、2桁程度の準一次元的な異方性を持つことが分かった。(京大、日本化成との共同研究)

研究業績

論文


学会講演

日本物理学会 第60回年次大会 2005年3月24日〜3月27日(理科大学野田キャンパス)

  • 平岡牧、坂本浩一、溝口憲治、加藤礼三、開康一、高橋利宏:低次元 DMe-DCNQI 系の圧力下 ESR

  • 篠原幸恵、増渕伸一、風間重雄、平岡牧、坂本浩一、溝口憲治、加藤礼三、開康一、高橋利宏、山本貢、田島裕之:擬一次元 π 電子系 DCNQI 塩の固体高分解能 NMR

  • 井上政信、溝口憲治、坂本浩一、徳本圓、川本徹、A. Omerzu, D. Mihailovic:有機強磁性体 TDAE-C60 の一軸加圧 ESR

  • 溝口憲治、井上政信、坂本浩一、和田潤:ポリTEMPOプロピオレートのESR

  • 田中俊輔、溝口憲治、坂本浩一、木村仁士:金属をドープした DNA の ESR による電子状態解析 II

  • 今野信一、風間重雄、平岡牧、坂本浩一、溝口憲治、谷口弘三、中村敏和、古川貢:(BEDT-TTF)(TCNQ) の ESR II

  • 坂本浩一、溝口憲治、谷口弘三:β'-(BEDT-TTF)2ICl2 の圧力下ESR

日本物理学会 2005年秋季大会2005年9月19日〜9月22日(同志社大学)

  • 木原工、坂本浩一、溝口憲治、今野信一、風間重雄、谷口弘三、中村敏和、古川貢、平岡牧:β''-ET(TCNQ) の電子状態

  • 林篤志、井上政信、坂本浩一、溝口憲治、和田潤:ポリTEMPOプロピオレートのESR II

  • 井上政信、溝口憲治、坂本浩一、徳本圓、川本徹、A. Omerzu, D. Mihailovic:有機強磁性体 TDAE-C60 の一軸歪み ESR

  • 田中俊輔、溝口憲治、坂本浩一:金属をドープしたDNAのESRによる電子状態解析 III

  • 坂本浩一、溝口憲治、谷口弘三:β'-(BEDT-TTF)2Cl2 の圧力下 ESR II

  • 今野信一、風間重雄、平岡牧、坂本浩一、溝口憲治、谷口弘三、中村敏和、古川貢:(BEDT-TTF)(TCNQ) の ESR III


国際会議

The International Symposium on Molecular Conductors (ISMC2005), Hayama, Japan, July 17 - July 21, 2005

  • K. Mizoguchi, Y. Shinohara, S. Kazama, M. Hiraoka, H. Sakamoto, R. Kato, K. Hiraki and T. Takahashi: Spin Distribution in (DMe-DCNQI)2M, M=Li, Ag, or Cu, examined by High resolution NMR

  • H. Sakamoto, K. Mizoguchi, and H. Taniguchi: A Pressure-Temperature Phase Diagram of β- (BEDT-TTF)2ICl2 by ESR under Pressure

  • S. Konno, S. Kazama, M. Hiraoka, H. Sakamoto, K. Mizoguchi, H. Taniguchi, T. Nakamura , K. Furukawa: ESR study on the electronic states of β'-(BEDT-TTF)(TCNQ)

International Symposium on Crystalline Organic Solid (ISCOM 2005), Keywest, USA, September 11-16, 2005

  • K. Mizoguchi, S. Tanaka, and H. Sakamoto: Electronic States of natural and metal-ion doped DNAs

  • K. Mizoguchi, Y. Shinohara, S. Kazama, M. Hiraoka, H. Sakamoto, R. Kato, K. Hiraki, and T. Takahashi: Determination of the π-charge distribution of DMe-DCNQI molecule in (DMe-DCNQI)2M, M=Li, Ag, and Cu

  • H. Sakamoto, K. Mizoguchi, and T. Hasegawa: Neutral-Ionic transition of (BEDT-TTF)(ClMeTCNQ) studied by ESR under pressure

  • M. Hiraoka, H. Sakamoto, K. Mizoguchi, R. Kato, T. Kato, T. Nakamura, K. Furukawa, K Hiraki, T. Takahashi, T. Yamamoto, and H. Tajima: Electron spin dynamics in (DMe- DCNQI)2M (M = Li1-xCux (x < 0.14), Ag)

  • S. Konno, S. Kazama, M. Hiraoka, H. Sakamoto, K. Mizoguchi, H. Taniguchi, T. Nakamura, and K. Furukawa: EPR study on the electronic states of β'-(BEDT-TTF)(TCNQ)

Pacifichem 2005, Honolulu, USA, December 15-20, 2005

  • A. Hayashi, M. Inoue, S. Tanaka, H. Sakamoto, K. Mizoguchi, J. Wada, and T. Masuda: ESR study of polyTEMPOLpropyolate

  • M. Inoue, K. Mizoguchi, H. Sakamoto, M. Tokumoto, T. Kawamoto, A. Omerzu and D. Mihailovic: Uniaxial strain effect in organic-ferromagnet TDAE-C60

  • S. Tanaka, K. Mizoguchi and H. Sakamoto: Electronic states of metal-doped DNA studied by ESR

  • K. Mizoguchi, Y. Shinohara, S. Kazama, M. Hiraoka, H. Sakamoto, R. Kato, K. Hiraki and T. Takahashi: NMR study on charge distribution in (DMe-DCNQI)2M, M=Li, Ag, or Cu

  • H. Sakamoto, K. Mizoguchi, and T. Hasegawa: Magnetic properties of mixed-stack charge-transfer salt with BEDT-TTF analogues


学会誌等

  • ESR in the organic materials: Temperature - Frequency - Pressure (in Japanese)
    K. Mizoguchi
    Electron Spin Science3,114-23(2005).

    戻る